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バガヴァッドギーター第2章 第29~38節/サーンキャヨーガ 8

20091217



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第29節

ある者は、彼アートマを、驚くべき者として、
ほかの者は、彼を驚くべき者として語る。
ほかの者は、彼を驚くべき者として聞く。し
かし、たとえ彼について聞いたとしても、誰も彼のことを真に知ることはないのだ。


第30節

おお、アルジュナよ。
あらゆる者の肉体に宿るこの内在者、デーヒは、
永遠に殺されることはない。
だから君は、全ての生き物について、嘆くべきではない。


第31節

また、自分の本分、スワダルマを考えて、
君は怖じけるべきではない。
武人、クシャトリヤにとって、まさに正義、
ダルマの戦いより他に、シュレヤス、すなわち永遠の栄光はないのだ。



<ババ様の御言葉です>

武人、クシャトリヤの第一の義務は、
正義ダルマの側に留まって、不正、アダルマを破壊することだ。

君自身の幸運を考えてみるが良い。

この戦場には、ビーシュマや他の者たちのような、立派な敵がいる。
このビーシュマはかつて、自らの師で、
あらゆる技術を教えてくれた僧侶、ブラーミン、
ビシュヌ神の化身の内の一人、偉大なるパラシュラーマと戦ったのだ。
それは、武人としての義務の遂行を第一としてのことであった。

そして今君は、臆病者のように、
そうした兵たち(つわもの)に対して武器を取ることを怖れているのだ。
あらゆる苦境をものともせず、ダルマの大義を掲げたとき、
武人は義務を果たしたと感じる。それこそが成長の道である。



第32節

天国へと開かれた扉である、このような戦いに、
求めずして巡り会う武人は、おお、プリターの息子アルジュナよ、幸運である。


<ババ様の御言葉です>

クシャタムは、ブカン、悲しみを意味し、
クシャトリヤとは、人々を悲しみから救う者のことである。
正義に変わって不正の勢力と戦うという、このような機会は、
人間には滅多にやってこない。

このダルマユッタに参加出来るのは、
クシャトリヤとして祝福されたことである。
君が今手がけようとしている世界へのこの奉仕によって、
どれほどの徳を積むことが出来るか、想像してみるがよい。

平安と繁栄を世界に打ち立てるために行われる戦いは、
ダルマユッタと呼ばれる。
今回の戦いは、まさにそのようなものである。
正義が必ず勝利を収めるのだ。

カーラバ一族はいかなる罪や不正、
悪徳をも控えようとはしなかった。
彼らは年長者を侮辱し、有徳の人を見捨て、
純血を守る人を汚し、善良な人の自尊心を傷つけた。
彼らの悪行は数えきれない。

今、天罰の瞬間が訪れたのだ。

彼らは自らが犯した罪の責任を取ろうとしているのだ。
この期に及んで、もし卑怯者のように振る舞うのなら、
君は両親や兄弟、そしてまさにクシャトリヤ階級の全ての人に、
不名誉をもたらすことになる。



第33節

今もし君が、この正義の戦いを行わず、
それによって自らの義務、スワダルマと名誉とを放棄するなら、
罪を負うことになるだろう。


<ババ様の御言葉です>

戦いに従事することは、罪だと君は考えている。
しかし、それは大きな過ちだ。そうではなく、
邪悪な者を破壊する機会を避け、有徳の人々の苦痛を引き延ばすことこそ、罪である。

今、ダルマを放棄すれば、君は地獄に堕ちる危険を侵すことになる。
しっかりとダルマに掴まっていれば、罪に汚されることはない。

心を定めるのだ。

この世のあらゆる二元対立の、
どちらの側にも、心を奪われてはならない。
クリシュナは、この章の第31節から始まる、八つの詩節で、
このスワダルマニシュタ、着実に自らのダルマを守ることについて、語っています。



第34節

また、人々はいつまでも、君の不名誉を語るだろう。
そして、尊敬されている者にとって、不名誉は死よりも更に悪いものだ。


第35節

偉大な戦士たちは、君が怖れを成して、戦場から退いたと思うだろう。
そして君は、君を大いに尊敬していた人たちから、軽蔑されるようになるだろう。


第36節

また、君の敵たちは、君の能力を蔑みながら、
数多くの、口にすべきでない言葉を語るだろう。
それに勝る苦痛がいったいあるだろうか。


第37節

倒されれば君は天国に行き、勝利を収めればこの世を楽しむだろう。
だからクンティの子よ、戦う決意をして立ち上がれ。



<ババ様の御言葉です>

人は、運、不運の最中に、心を動かさずに活動に携わるべきです。
これが第37節でクリシュナが与えた助言です。



第38節

苦楽、特質、勝敗を平等視して、戦闘に従事することだ。
そうすれば、君は罪被うことはないだろう。


音源はこちらから




<メモ>

「パラマハンサ ヨガナンダとの対話」では、次のような一節がありました。

もし、貴方が他人を嘲り糾弾(きゅうだん)するなら、いつか今生、または来世において、
貴方がいま無慈悲にも退けた相手が受けた、その同じ経験をしなければなりません。


全く正反対なこの言葉。
一体どう解釈したらいいのやら。
壮大すぎて、私には分かりません。

自分は、このバガヴァッドギータのクルクシェートラの戦いは、心の中のことと理解しています。

でも、実際に、そのような場面に遭遇してしまった時、自分はどんな行動を取るんだろうかと考えると、多分、ヨガナンダのようなカルマの法則を考慮して、戦いを避けると思います。

滅多に遭遇しないというこういう場面とは、実際にあることなのか。

神のみが自分の味方をいう、そんな状況にもしも置かれたら、自分は、怖れずに戦うのかどうか。
神からの啓示がなければ、きっと無理。

でも、神からの啓示ではないと思うけど、実は実際にこのような場面に遭遇してしまい、自分自身をとても傷つけてしまっていた時があったのだ。

その頃、アンマのダルシャンを受け、すごく労ってもらったことがあったのを、思い出した。

しかし今思い出すに、自分は何を正すため、何を守るために戦っていたんだろう。あれは無駄な戦いだったのか?
(多分、他の人の尊厳を大切に出来ない人たち、人に不名誉をもたらす考え方をする人たちと、戦っていたのでしょう)


善悪の判断をした上での行動だったからなのか、
その後の展開にはごく当たり前の結果が付いてきた。

そういったことを避けるためにも、冷静なブッディ(識別心)も必要かと思われます。
でないと、名誉どころか、不名誉を頂くことにもなるかも。




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tottemo ii indo

Author:tottemo ii indo
サティヤサイババは亡くなってしまったけれど、その教えは私たち皆に受け継がれています。スワミの教えを実践することで、サティヤサイババが降誕した、本来の目的に立ち返りましょう。

H2Hの御言葉を、2010年分から順次載せて行こうかと思っています。
サイの御教えだけでなく、これからは、心に残る聖者の言葉も引用していこうと思います。

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