スポンサーサイト

------

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『幸せとは神と一つになることである』

20150401



このブログのトップに、バガヴァットギータの一節をピックアップしたのには、理由があります。

帰依者のだれもが熱望する、サイのダルシャンを受けたのに、
そのあとでも、一方的な片思いのような、
ひりひりとした思いが残るのはなぜなんだろう。
もしくは、何度も何度も、ダルシャンを求めてしまうのはなぜなんだろう。
神から愛されているという実感が少ない。
自分は神から愛される資質を持っていないからなんだろうか。

では、神から愛される人というのはどんな人なんだろう、
という疑問を抱いた時に見つけたものでした。

このインタビューは、その12章13節について話されていたため興味を持ち、
全文を読んでみることになりました。
帰依の道を歩まれている方で、まだインタビューを読まれていない方に、おすすめします。
帰依の四つの段階が、具体的な例と共に、順を追って書かれています。



『幸せとは神と一つになることである』

       ナレンドラナート・レッディー博士





私たちの慈愛深き神サイは、母なる神、父なる神であり、
人生のいかなる瞬間においても私 たちを庇護し、守り導いてくださいます。

母なる神、サイから受けた無限の愛、恩寵、祝福に対し、言葉では感謝を表しきれません。


霊性の旅における四つの段階

かつて、私はスワミに、私や家族のためにスワミがなしてくださった全てのことに対し、
どうしたら感謝を表すことができるかとお尋ねしたことがあります。

「私のために、一つのことをすることができますか? 」 とスワミは応じられました。
「はい」 と私は言い、
スワミの神聖なミッション(使命)の重要な計画を行うようにとおっしゃることを期待しました。

驚いたことに、スワミはこうおっしゃいました。
「幸せでいなさい、幸せでいなさい、幸せでいなさい」

最初は、それはとても簡単なことのように思えました。
けれども深い熟考のあと、実際には、
幸せとは人生の究極の目標である ということを理解しました。

スワミはおっしゃいます。
「幸せとは神と一つになることです」と。
それは人生の目的なのです。

“ラブ・イズ・マイ・フォーム; ブリス・イズ・マイ・フード”
(愛が私の姿です。至福が私の食物です)と、スワミは美しくお歌いになります。

どうすれば、この目標に到達できる のでしょう?

答えは、「サイ ババ」というスワミの御名の中にあります。

SAI ( See Always Inside「常に内側を見なさい」)、そうすれば、
BABA( Being, Awareness, Bliss and Atma「存在、意識、至福、アートマ」)を経験します。

スワミは この目標へと私たちを連れていく四つの段階、
サーローキャム〔知覚〕、
サーミー ピャム〔接近〕、
サールーピャム〔同一化〕、
サーユッジヤム〔融合〕 
 を与えてくださいました。


私たちはサーローキャム(知覚)の段階から、
究極の目標であるサーユッジヤム〔融合〕、
すなわちサイと私たちは一つであると悟る段階へ進まなければなりません。

霊的探求者の旅は、人をドワイタ(二元性)からアドワイタ(不二一元性)へ、
無知の暗闇から英知の光へ、死(肉体との同一視)から
不死(アートマの特質の実感)へ、多様性から一体性へ、
束の間の世界の非現実性から不変の神性の現実へ、と連れていきます。



1.サーローキャム(知覚)

第一の段階はサーローキャム(神を知覚すること)であり、
この段階において私たちは神の世界へと参入します。

最初、私たちは神の恩寵によってのみサイの囲い(信者仲間)に入ります。
それから、鋭い刃の上を歩いているようなこの霊性の旅を歩むとき、
シュリ・ラーマクリ シュナ・パラマハンサやシュリ・ラマナ・マハルシのような、
善良で完璧なガイドを必要とします。
実際、私たちは至高の神であるバガヴァン シュリ サティヤ サイ ババを
自らのグル(導師)、ガイド、神にするという祝福を受けています。

もう一つの聖なる祝福は、私たちがカリユガ〔暗黒の時代〕の
プールナアヴァター、愛の化身、シュリ サティヤ サイ ババと、同時代に生きているということです。

私たちはサティヤ サイから
ダルシャン(神を見ること)、
スパルシャン(神に触れること)、
サムバーシャン(神と会話を交わすこと)
という
三つの祝福を受け取っています。

ダルシャナム パーパ ナーシャナム
(神を見ることはあらゆる罪を滅ぼす)

スワミを見るだけで、スワミの写真を見るだけでも、
私たちの罪は洗い流されるのです。

スパルシャナム カルマ ヴィモーチャナム
(神に触れることはカルマの束縛を破壊する)

一度スワミに触れると、カルマはすべて焼き払われます。

サムバーシャナム サンカタナーシャナム
(神と会話すればあらゆる困難は過ぎ去る)

スワミはおっしゃいます。
「私が呼ばなければ、誰も私の元やプッタパルティに来ることはできない」と。

ですから、私たちは幸運にもスワミに呼ばれたため、
スワミの囲い(信者仲間)に入ったのです。

スワミはいつ、どのようにして私たちを呼ぶかをご存知なのです。
幼い頃から、私はサティヤ サイとシルディ サイとが同一であるという真実を知らないまま
シルディ サイ ババに祈っていました。

初めてのインタヴューの時、私はスワミに、
スワミと共にいることを、なぜこれほど長年待たねばならなかったのかを尋ねました。
スワミはすぐさま三つの啓蒙的な例を挙げてお答えくださいました。

スワミはおっしゃいました。
「あなたは医者として、白内障はひどくなるまで手術をしないということを知っていますね。
怪我をしている時は、その傷が癒え、かさぶたが自然に落ちるまで待ちます。
そうする代わりにかさぶたを早く剥いてしまったら、出血して治癒の過程は遅れるでしょう。
果物は十分に熟せば自然に樹から落ち、甘く、美味しくなります。
しかし、もし熟さぬうちに取るなら甘くないでしょう。

そのように、あらゆることには『適切な時』というものがあるのです。
同様に、これがあなたにとって、私と共にいる適切な時なのです」

このように、すべての物事が神のご意志によって定められているのです。
私たちは皆、スワミの神聖な蓮華の御足に引きつけられたことに、感謝しなければなりません。
スワミのご意志なくしては、誰もスワミの元に来ることはできないのですから。

スワミが呼ばれると、私たちは自分自身の望みや計画にかかわらず、
針が磁石に引きつけられるようにスワミに引きつけられます。

スワミのところに来たいきさつを語る、ドイツ人の若い男性に会ったことがあります。
その男性は、スワミの帰依者である妻が、プッタパルティに行くのに同行していました。
男性は大きな会社の重役として働いており、
スワミやプッタパルティを訪れることに関心はありませんでした。

その男性は妻に言いました。
「僕は君と一緒にプッタパルティに行くつもりはないよ。
君は行って自分のグルに会っておいで。
訪問が終われば、ベンガルールに来て僕に合流すればいい」

二人はデリーからベンガルールに向かう急行列車に乗りました。
サイの不思議な偶然により、 電車が不意にダルマヴァラム駅で止まりました。
ダルマヴァラムはプッタパルティのすぐ近くにあります。

ある乗客がその男性の妻に言いました。
「ここはプッタパルティの近くです。
はるばるベンガルールへ行く代わりに、ここで降りてはどうですか? 」
それは午前2時頃のことでした。
夫はそんなに遅い時間に、妻を一人で辺鄙な村に行かせたいとは思いませんでした。
そこで、夫は自分の計画や希望に反して列車を降り、妻と共にプッタパルティへ向かいました。

そして、スワミのダルシャンを一度受けたあと、
夫はベンガルールのことはすっかり忘れ、熱心な帰依者になったのです。

このことは、私たちが 何千マイルも離れた所にいても、
私たちの意図にかかわらず、スワミがいかにして私たちをご自分の囲いに
お引き寄せになるかを示しています。

サイの囲い〔信者仲間〕に入ると、私たちはスワミから、
ナーマ(神の御名)とルーパ(姿) とリーラー(戯れ)、
という三つの聖なる贈り物を受け取ります。

スワミの美しい御姿、スワミ の甘い御名、スワミの素晴らしい戯れは、大いなる贈り物であり、宝物です。

私たちは頂いた祝福を数え、スワミのメッセージを日常生活に移すことで、その祝福を生かさなければなりません。



2.サーミーピャム(接近)

次の段階は、サーミーピャム(神の近くにいること)です。
スワミに出会い、スワミの囲い (信者仲間)に入ると、スワミの近くにいたくなります。
近いだけでなく、スワミと親密になりたいと思うようになります。
スワミは、神はハスの花のようだとおっしゃいます。
蛙はハスのすぐ近くに座っていますが、そこから何の利益も得ていません。
逆に、ミツバチは遠くから やってきてハスの蜜を楽しみます。

神との肉体的な近さは魅力的で楽しいものですが、さらに重要なことは、

どこにいようとも、ハートと、心と、魂と、強さで神を愛し、神に仕えることによって、
神にとって愛しい者となることです。

かつて、ある学生が、スワミの指示によりスワミのお部屋と倉庫の掃除をしていました。
その学生は掃除中にトラの毛皮を見つけ、どうすればよいか考えていました。
われらが全知全能 の神は、冗談でおっしゃいました。
「それを持ってヒマラヤに行き、瞑想しなさい」
その学生は良い帰依者だったので、「はい、スワミ、行って参ります」と言いました。
スワミは、「どうして行きたいのだ? 」とお尋ねになりました。
「瞑想して、神のダルシャンを得るためです」と、その少年は答えました。
スワミはからかっておっしゃいました。
「君は今、ここで神のダルシャンを受けている。なぜヒマラヤへ行きたいのだ? 」

このことは、神が身体的に近く、到達しやすいにも関わらず、
私たちはその幸運や祝福に感謝しない傾向にあるという教訓を痛感させてくれます。


四十年前、遠い町に住むある帰依者が、毎月スワミに捧げるために
花輪と籠いっぱいの果物を持って来ていました。
スワミはそれを慈悲深くお受け取りになったものでした。
これは数年間続き、その帰依者はとても幸せでした。

そしてある日、その帰依者は無邪気に尋ねました。
「スワミ、私はこのような帰依心を持っていればそれで十分ですか? 」
スワミはおっしゃいました。

「あなたがこのような帰依心を持っているなら、それは時間とお金の無駄です。
私の首の周りの重荷でもあります。帰依心とは何であるかを本当に知りたいのなら、

 『バガヴァッド・ギータ ー』第 12 章の「バクティ・ヨーガ」のページを開き、
 第 13 節以下のシュローカ(詩句)を読みなさい」


それは、“アドヴェーシター サルヴァ ブーターナーム マイトラ カルナ エーヴァ チャ”
(「誰に対しても憎しみを抱かず、すべてのものに対して友好的で哀れみ深い者」)
という詩句で始まります 。

帰依者の第一の性質は、人間だけでなく、生きとし生けるすべてのものを憎まない、ということです。

ですから、私たちは自分の語彙に「憎悪」という語を持つことはできません。
もし「憎悪」という語を持つならば、帰依者としては失格です。
私たちは「蛇が嫌いだ。 トカゲが嫌いだ」とすら口にすることはできないのです。

ある日、私たちがプッタパルティの部屋で朝の祈りを捧げていたとき、
一匹のトカゲが祭壇を横切って這っていきました。
次女のハリニはどんなものでも這うものに対してはおびえます。
突然、ハリニはこのトカゲを見て叫び声をあげました。
私は何か大惨事が起こったのだと思いました。問題がトカゲであることに気づき、
私は従者にトカゲをそっと持ち上げて外の庭に放すよう頼みました。

同じ朝、スワミはラーマナヴァミー祭の御講話で、
三位一体の神と同様、 蟻の中にも同一の神が存在しているとおっしゃりながら、
聖ティヤーガラージャの歌、

“チーマロー ブラフマロー シヴァ ケーシャヴァードゥラロー”
(あなたはシヴァとケーシャヴァに 内在しておられるように、
蟻からブラフマンに至るまで、あらゆる生き物に内在しておられる・・・)
をお歌いになりました。

まさしくその夕方、スワミは私たちをインタヴューにお呼びになり、私は尋ねました。
「スワミ、毎日祭壇に来て、祈りの邪魔をするあのトカゲをどうしたら良いでしょうか?」
「そのトカゲは、祈祷室であなた方と一緒に礼拝していると考えるべきです」と、
スワミはお答えになりました。

これは、万物の中に神を見て、あらゆる生き物に対する慈悲を実践するレッスンです。
それが、私たちを神に近く、愛しい者にするのです。



3.サールーピャム(同一化)

第三段階はサールーピャム(神との同一化)です。
この段階では、私たちは神のように行為し、神の属性だけを示します。
経典では、「ヤッド バーヴァム タッド バヴァティ」
(感情の 通りに結果がある)と言われています。

その最も良い例は、『ラーマーヤナ』におけるラーマ神の弟、バラタです。
14年間森へ追放された後、ラーマ神がアヨーディヤーに戻ったとき、
アヨーディヤーの町の人々はラーマを歓迎し、花輪で飾るために壮大な準備をしました。
驚いたことに、民衆は二人の兄弟であるラーマとバラタが全く同じように見えることに気づき、
どちらに花輪をかけるべきかわからず、困ってしまいました。

ラーマが追放されていた十四年間、
バラタは一瞬ごとにシュリ ラーマについてのみ考えながら過ごした結果、
シュリ ラーマそっく りに見え、そっくりに行動するようになっていたのです。
バラタは明敏だったので、自分が兄ラーマの御足にひれ伏すことにより、
民衆の困難を解決しました。
民衆は即座にラーマを見分け、ラーマに花輪をかけました。

このように、人生のあらゆる瞬間、神について考え続けるようになると、
私たちは神のように行動し始めるのです。
そして、私たちの人生はまことに神のメッセージとなるのです。



4.サーユッジヤム(融合)

最後の段階はサーユッジヤム(神との融合)です。
この段階では、私たちはサイと一つにな り、サイと私たちが一つであることを悟ります。
その最高の例が、『ラーマーヤナ』に出てくる もう一人の人物、シャバリーです。
シャバリーはまさに初めてのラーマのダルシャンで、ラー マに融合しました。

私たちはサイ ラーマ神のダルシャンという幸運を何度も手にしているので、 スワミに尋ねました。

「シャバリーはたった一度見ただけで、あなたと一つになりました。
あなたのダルシャンを 何度もいただいた後ですら、
私たちがまだこの目標に到達できないのはなぜでしょうか? 」

スワミはお答えになりました。
「シャバリーは何年もの間、絶えずラーマについて考え、
ラーマを喜ばせるためにすべての 仕事を行い、
ラーマと初めて会うための準備をしてきた偉大な帰依者でした。
シャバリーは愛 しいラーマ神に仕え、ラーマ神を喜ばせるという唯一の目的のために、
毎日、ラーマのための 果物と花を集め、道を掃き清めていたのです」

このように、私たちも絶えず神について考え、神を愛し、
いつどこにいても神に仕えること によって、神を悟るための準備をしなければなりません。
サットサング(聖なる仲間)は、このプロセスで私たちを助けてくれます。

かつて、アメリカから来たある帰依者が尋ねました。
「スワミ、ここプラシャーンティ ニラヤムにいる時にあなたのことを考えるのは簡単です。
けれどもアメリカに戻ると、常にあなたのことを考えるのは難しいと感じるのはどうしてでしょうか? 」

スワミは説明されました。
「例があります。あなたは水がいっぱい入ったボウルを持っています。
ボウルは日なたに置いておかれると、水が蒸発して空になります。
しかし、同じ水の入ったボウルが水槽の水の中に入れておかれると、
ボウルの水は蒸発せず、いっぱいのままでしょう。

あなたはここにいる時、わたしの恩寵と愛を受け取っています。
私の祝福と愛を受けたため、もし神の栄光を歌い聞くことによって
自分を聖なる仲間で囲うなら、あなたは常に神への思いを持ち続けることで しょう」

シャバリーはいつも聖者仲間たちと一緒にいて、
神を愛し、神に仕えるという一つに向けられた目標を持っていました。

だから彼女はラーマと一つになったのです。

至るところに神を見なさい
私たちは神性という生来の性質を実現し、これを日常生活において表さなければなりません。

かつて、私はスワミと共に、スワミのお車で病院からプラシャーンティ ニラヤムへ移動したことがあります。
スワミへの愛から、多くの人々が花や花輪を車に投げかけました。
見ていると、 ある年配の西洋人女性がスワミの車に花を投げようとしましたが、
彼女はとても華奢で力が弱かったため、花は彼女の上に逆戻りして落ちました。

スワミはおっしゃいました。
「ナレンドラ、あれを見ましたか?
あの女性は捧げ物として私の車に花を投げたかったのですが、
力が弱く、花は彼女の上に落ちてしまいました」
スワミはお続けになりました。

「彼女は気づかずに正しいことをしたのです。
彼女はまことに神であるがゆえに、花で自分自身を礼拝しているのです」

神聖な師による、簡単な言葉での、なんと深遠な御教えでしょうか!
スワミはおっしゃっています。

「神を外に探してはなりません。至るところに神を見なさい。
そして、あなた自身が神であるということに気づきなさい」

スワミは私たちが「サーローキャム」の段階から
「サーユッジヤム」の段階へと進むことをお望みです。

イエス様はおっしゃいました。
「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」 と。

また、クリシュナ神もおっしゃいました。
「私を求める何百万人のうち、ほんの一握りの人々だけが私を認識する」 と。

スワミは美しい例えを与えてくださいました。
木に咲く何千もの花のうち、いくつかだけが果実となる。
多くはまだ花の間に、いくつかは熟していない果実のまま、木から落ちてしまう。
熟した果実になるものはわずかである、と。

確固とした信仰と忍耐で、神の甘い御名を絶えず繰り返し、神の美しい御姿を思い浮かべることによって、
そして最も重要なこととして、神の普遍的で永遠のメッセージを日常生活において実践することによって、
私たちは、サイと一つであるという究極の目標に到達することでしょう。


「立ち上がれ、目覚めよ、ゴールに到達するまで立ち止まるな! 」
という神の明快な声に、 心を向けましょう。



出典:『サナータナ サーラティ』 2012 年 11 月特集号



関連記事
プロフィール

tottemo ii indo

Author:tottemo ii indo
サティヤサイババは亡くなってしまったけれど、その教えは私たち皆に受け継がれています。スワミの教えを実践することで、サティヤサイババが降誕した、本来の目的に立ち返りましょう。

H2Hの御言葉を、2010年分から順次載せて行こうかと思っています。
サイの御教えだけでなく、これからは、心に残る聖者の言葉も引用していこうと思います。

最近の記事
月別アーカイブ
FC2カテゴリー
最近のコメント
FC2カウンター
リンク
ブログ内検索

Pagetop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。