帰依の権化、ハヌマーンのエピソード
20120831
ハヌマーンとは、ラーマ王子に帰依し忠誠を誓った、サルの一族の者で、
風の神ヴァーユの息子であり、
ラーマの父、ダシャラタ王が子宝に恵まれるように祈願したヤグニャで、
聖者がお菓子を分けて、ダシャラタ王の4人の妃に差し上げたものを、
鷲がさらって行き、それをハヌマーンの母が食べたため、ラーマたち兄弟と縁が深い。
このお話は、森でさらわれた、ラーマ王子の妃、シーターを探しにいったときのお話です。
ラーマとラーヴァナの戦いが始まる前、シーターがどの辺りにいるか捜索する使命の一環として、ハヌマーンがランカーに侵入しました。シーターを見つけた後、ハヌマーンはその情報をシュリ・ラーマに伝えるために帰途につきました。ところが、ハヌマーンは鬼たち〔ラークシャサ〕に捕らえられ、ラーヴァナの宮廷に連れてこられました。ラーヴァナはハヌマーンを見て激怒しました。ハヌマーンは帰る途中で美しいアショーカヴァナ〔シーターが捕らわれていた果樹園〕をめちゃめちゃにしてしまったからです。ラーヴァナはハヌマーンに尋ねました。
「おまえは誰だ? どういうわけで図々しくもこの難攻不落の都ランカーに侵入したのだ?」
ラーヴァナはハヌマーンの力を見くびり、普通の猿相手として話しかけ、ハヌマーンを 嘲りました。ハヌマーンは対等の者として同じ調子で答え、ラーヴァナに言いました。
「おまえの妹の耳と鼻を切り取った主が、私をお遣わしになったのだ」
ラーヴァナは大変腹を立てました。というのは、大胆にもそれほどラーヴァナの威厳を損なうような態度で話しかけてきた者は誰もいなかったからです。実際、ハヌマーンはラーヴァナと同じ言葉遣いで話しました。ラーヴァナは侮辱されたと感じました。ハヌマーンは少しも気にしませんでした。なぜなら、ハヌマーンは常にラーマの御名を唱えていたからです。それはどんな状況にも直面する勇気と力を授けてくれるのです。
ラーヴァナはハヌマーンの無礼と尊大さに我慢できませんでした。そこで、ハヌマーンの 尻尾(しっぽ)を油の染み込んだ布でくるんで火を点けるよう命じました。直ちに、ハヌマーンの尻尾に油の染み込んだ布が巻きつけられ、火が点けられました。ハヌマーンはおとなしくしていませんでした。燃える尻尾で一つの建物から別の建物へと跳び移り、都全体に火を点けたのです。貴重な宝石が埋め込まれた美しく豪華な建造物の数々は、瞬く間に炎上しました。マンドーダリー〔ラーヴァナの妃〕の宮殿すら炎に飲み込まれました。マンドーダリーは外に飛び出しました。人々は慌てふためいてあちこちを走り回りました。猛威を振るう炎から免れた建物は一件もありませんでした。
その時、ハヌマーンはマンドーダリーに忠告しました。
「母よ、この壊滅的な火事と、その結果多くの命や財産が失われたのは、あなたの夫が犯した罪のせいです。どうかあなたの夫に、今後はそのような凶悪な罪を犯さないよう伝えてください。もし、あなたがそうすることで自分の夫を助けるなら、それはあなた自身とラークシャサ一族を救うに等しいのです」
2009年7月6日
グルプールニマー祭前夜の御講話
神への愛、罪への恐れ、社会の道徳 より
マンドーダリーは夫、ラーヴァナに悔い改めるように何度も忠告しますが、
ラーヴァナはそれを受け入れず、身を滅ぼすことになります。
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ダシャラタ王の4人の息子とヴェーダ
20120831
ラーマはリグヴェーダを象徴します。
ラーマはマントラスワルーパ(マントラの化身)です。
ラクシュマナはマントラドラシュタ(マントラを憶念する者)であり、
ラーマの教えを実践しました。ラクシュマナは忠実にラーマに従いました。
彼はラーマの御名をターラカ(解脱を与える)マントラだと考えていました。
事実ラクシュマナは、ラーマを、母親、父親、グルそして神、
すなわちあらゆるものだと思っていました。
バラタはサーマヴェーダの具現であり、
バーヴァ、ラーガ、ターラ(感情、旋律、リズム)をもって
絶え間なくラーマの御名を唱えていました。
バラタがニルグナの礼拝(形のない神を崇拝すること)を
行っていたのに対して、
ラクシュマナはサグナの礼拝(姿をとった神を崇拝すること)に
喜びを感じていました。
アタルヴァ ヴェーダは、三人の兄に従い、世俗の世界だけでなく、
感覚の領域をも征服したシャトルグナとして具現しました。
このように、ヴェーダは最も貴重なメッセージを人類に伝えるために
トレターユガに具現化したのです。
2004年3月30日
ラーマナヴァミの御講話
「人の姿をとったヴェーダの教え」
より
また、こちらの御講話では、ラクシュマナは、
ヤジュルヴェーダの具現であるとしています。
2003年4月11日
ラーマナヴァミの御講話
「ラーマの物語は不滅であり永遠に新しい」
ラーマ王子の物語3
20120830
真理(サティヤ)と非真(アサティヤ)、
正義(ダルマ)と不正(アダルマ)の間には、
当然ながら対立があります。
ラーヴァナがアサティヤ(真実ではないこと)に頼ったのに対し、
ラーマは細かいところまでサティヤに従いました。
真理を固守することよりも偉大なダルマは存在しません。
ですから、私たちはたとえ些細(ささい)なことであっても、
真理を固守するべきです。
私たちは、けっして困難な状況から逃れようとして
真実でないことに助けを求めるべきではありません。
シーターとラーマの結婚のエピソードを話された御講話
2002年10月11日
ナヴァラトリ3日目の御講話
「シーターの神性とラーマの結婚」
ラーマの御名の甘美さについて
真理とダルマを守ったラーマについて
そして、ラーヴァナにさらわれたシーターのお話
について話された御講話は
2006年4月7日
シュリ ラーマ ナヴァミの御講話
『ラーマの御名の甘美さを体験しなさい』
ラーマ王子の物語2
20120829
息子たちが名誉と名声で世界中に知られている国
勇士たちが自由を勝ち得るために侵略者や支配者たちと戦った国
知恵と学識という息子が世界の賞賛を浴びる名だたる国
聖者、詩人、歌人、そして神々しい歌い手たちの国
おお、バーラタ〔インド〕の息子たちよ、前進し、受け継いだものを守れ
そして自らの輝かしい歴史にふさわしくあれ
ラーマーヤナとヴェーダとの関連性について、語られた御講話
2004年3月30日
ラーマナヴァミの御講話
「人の姿をとったヴェーダの教え」
ラーマーヤナの四兄弟とその妻たちの、卓越した特質が語られた御講話
2003年4月11日
ラーマナヴァミの御講話
「ラーマの物語は不滅であり永遠に新しい」
この御講話の時の映像です。
テルグ語のシローカーを歌う時の、スワミの歌声とお顔が何とも言えない表情で、
心を打ちます。(14:51)
SRI RAMA NAVAMI 2003 from SAI_BABA_TV on Vimeo.
何の教育も受けていない鳥や動物たちでさえ
規律ある生活を送っている
されど 悲しいかな
あらゆる知性を授けられている人間が
規律ある生活を送っていない
ほかに何を伝えられるだろうか?
この尊き集会に集う人々に
(テルグ語の詩)
神は宇宙の内に燦然と光り輝く
ゆえに 宇宙もまた 神の内に光り輝く
神と宇宙の関係は密接で
切り離すことはできない
これよりほかに伝えるべきことがあるだろうか?
(テルグ語の詩)
ラーマ神の特質
20120829