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バガヴァットギーター 第12章 第3節~9節/帰依のヨーガ 2/Radio Sai Japanより

20120129



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第3、第4節

しかし、諸処の感覚を制御して、いかなる状況に置いても同じ心を保ち、
万物の幸福を喜び、不滅の存在、説明出来ない存在、
非顕現の者、偏在の者、不可思議の者、
変わる事のない者、不動の者、堅固な者を崇める者たちもまた、
真(まこと)に私に到達する。


第5節

とはいえ、より困難が大きいのは、
非顕現の存在に心を定めている者たちである。
というのも、肉体を持った者にとって、
非顕現の目標に到達するのは、たいへんに難しいからである。


ババ様の御言葉です。

これに対して、アルジュナは言いました。
クリシュナ、自己と肉体を同一視する人々にとって、
姿を持たず、特性を持たない者を黙想する事は、とても難しい事です。

神の姿をもった側面を礼拝する事は、普通の人の手の届く範囲にありますが、
これは、心の浄化をもたらすでしょうか?
内的意識器官の浄化をもたらすでしょうか?

どうか、啓発してください。


アルジュナよ
人々は、姿と特性をもった神を礼拝するだけで、十分だと考えている。
この修行は、ある程度の助けになるだけである。
それは神に至る道に沿って、人をしばらくの間、進ませるだけでしかない。

なぜなら、神はそれだけでその人を哀れんで、
解脱を授けるような事はしないからだ。

というのも、解脱を目指す者はまず、
肉体への執着を、手放さなければならないからである。

肉体への執着を手放すことなしには、
真我、アートマのステージに到達する事は出来ない。
肉体との自己同一化は、無知の現れである。
神我は、自然界とは異なったものとして認識されなければならない。


第6,7節

しかし、私を究極のゴールとし、すべての行為を私に捧げ、
一心不乱に私を瞑想して、私を崇めるる人々、それら私に心を注ぐ人々にとって、
おお、パールタ、アルジュナよ、
私は直ぐに彼らを輪廻の海から救い出す者となるだろう。


ババ様の御言葉です。

すべての礼拝と、すべての崇敬と、すべてのヴェーダの儀式と、
それ以外の誓いや、夜を徹した祈りを、
それに付随する一切の成果と共に、私に捧げなさい。

私を究極のゴールとし、最終的な目標としなさい。
それによってすべての行為は、礼拝になる。

君の心を私に定めて私を、瞑想しなさい。
そうすれば私は、恩寵を注ぎ、
変化に満ちたこの世の大海を、渡らせてあげよう。
君に力を貸して、君の求めるゴールに到達させてあげよう。

アルジュナよ
私に心を定める事は、容易な事ではなく、
誰でもこれをやり遂げる事が出来る、というものでもない。
どれだけ長い間訓練しても、他の物事や他の考えに心を彷徨わせる事無く、
私から心を放さないでいる事は、難しい。


第8節

君の心を私だけに定めて、君の知性を私の中に没入させなさい。
そうすれば君は、この先ずっと、私の内のみに住む事になるだろう。
この事に疑いの余地はない。


第9節

もし君が、意識をしっかりと私に集中させることが出来ないのであれば、
アビヤーサ・ヨーガ、絶えず実践することによる訓練によって、
私に到達する様に勤めなさい。

おお、富の獲得者、アルジュナよ


ババ様の御言葉です.。
君はそこで
「それ以外に何か手だてはないのですか?」と尋ねるかもしれない。

私はそれに対して
「ある」と答え、私を喜ばせる行為に、熱心に携さわろうとする人々までも、
真我の意識を確立して、解脱を得ることが出来る。

祈り、神の名を唱えること、栄光を讃える事、礼拝などの手段によって、
過去の罪を破壊し、内的意識の衝動を浄化する事が出来る。

そのとき英知の光が差し込んで、無知の闇から解放されるのだ。




さあ今こそ、サイ ガヤトリーを唱えよう!





音源はこちらです。


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動き出している

20120128

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犠牲とは。。。

20120123



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1962年の御講話『ダルマの根』より


ヤグニャ〔供犠〕はすべての生き物の宿命です。
生命は生き物の犠牲によって維持されています。
最も小さなアメーバから最も深遠な知識を持った学者に至るまで、
すべての生き物は絶え間なくヤグニャに携わっています。

母は子のために犠牲を払い、
父は子孫のために犠牲を払い、
友は友のために犠牲を払い、
個人は集団のために犠牲を払い、
現在は未来のために犠牲を払い、
金持ちは貧しい人々のために犠牲を払い、
弱者は強者のために犠牲を払います。

これらはすべてヤグニャであり、犠牲であり、捧げ物です。

ただ、そのほとんどは意識的なものではありません。
そのほとんどは自発的なものでもありません。
そのほとんどはダルマに適ったものでもありません。
それらは恐怖や貪欲から為されたり、
見返りを念頭において為されたり、
単なる本能、すなわち原始的な衝動によって為されてるものです。

犠牲は、意識的に為されるものでなくてはならず、
霊的な向上を目的としていなければなりません。
特に人間においてはそうなのです。
そうすれば、人生はヤグニャマーヤ(犠牲に満ちたもの)となり、
利己主義は消え失せ、川は海に溶け込むでしょう。




かねてより、セヴァは行動のヤグニャだ!と思っていたので、
この御講話にはすごく納得がいきました。
(過去に下書きしていたものを掲載)




サイラム

美しいサイの御姿3

20120120


Sweetness Unsurpassable 04



美しいサイの御姿2/震災から17年

20120117


olden-days-churning-air-sai_convert_20120117210240_convert_20120121095053.jpg





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プロフィール

tottemo ii indo

Author:tottemo ii indo
サティヤサイババは亡くなってしまったけれど、その教えは私たち皆に受け継がれています。スワミの教えを実践することで、サティヤサイババが降誕した、本来の目的に立ち返りましょう。

H2Hの御言葉を、2010年分から順次載せて行こうかと思っています。
サイの御教えだけでなく、これからは、心に残る聖者の言葉も引用していこうと思います。

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