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喜び溢れるダルシャン

20111031



Celebration in the Temple of Healing from Sairamark on Vimeo.




フルスクリーンモードでお楽しみください。

最近流行の、加工されたバックミュージック付きのものではない、
生の音の臨場感ある映像。

スワミの眼孔がとても強いです。

スワミを迎える時の期待と喜びに包まれる、温かい雰囲気。
見ているだけのこちらまで、その場に存在しているかのように、
引き込まれてしまう、素晴らしい映像です。





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Diwaliによせて

20111029

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バガヴァットギーター第12章 第16節~20節/帰依のヨーガ 5/Radio Sai Japan より

20111028



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第16節
欲望を持たず、純粋かつ有能で、偏見も動揺もなく、
すべての企図を捨て、私を信愛するものは、私にとって愛おしい。


第17節
悦に入らず、嫌悪せず、悲しむ事も欲しがる事もせず、
好悪を放棄して、親愛に満ちているものは、私にとって愛おしい。



ババ様の御言葉です。

ギーターは、誰かが、神に対する深い信愛を持っていたとしても、
もしその人が、神の教えに注意を払わずに生きているのであれば、
バクタ(神を愛する人の名)に値しない、と宣言しています。

神の教えとは、聖人賢者達に啓示された、
神の教えであるシャーストらに定められた、ダルマの事です。

クリシュナがギーターの中で
親愛に満ちているものは、私にとって愛おしい、と宣言した時、
『親愛に満ちている』という言葉を使ったのは、
このような意味合いからでした。



第18,19節
敵と味方に対して同じ心であり、
また、名誉と不名誉にたいしても同じ心であり、
非難と賞賛を同一視し、寡黙で、何でも満足し、
家を持たず、安定した心を持ち、神への愛に満ちている人、
そのような人は、私にとって愛おしい。


第20節
しかし、以上述べた、この不滅に至るダルマの道を尊び、
唯一究極の目標として私を信頼し、一心に私と結びついているものたち、
彼らは私にとってこの上なく愛おしい。


ババ様の御言葉です。

この詩節、シュローカはなんと素晴らしい概念を伝えている事でしょう。
これは、人が身につけなければならない性質を述べた、
一連の詩節を締めくくるシュローカーです。

それは、一連の詩節全体を、ダルマーアムリタ、
不滅の命に至るダルマの道と叫びます。

神はこのシュローカーの中で、これらの特質を備えた人々、
唯一、究極の目標として、神を信頼する人々、
心に神を慕う人々は、神にとって最も愛おしくて、
神に最も近い人と宣言しています。

ここで使われている、
ダルマーアムリタ、不滅の命に至るダルマの道、
という言葉に注意しましょう。

それについて深く考えて、
そこからインスピレーションを受けましょう。

甘露(アムリタ)のような神の恩寵を受ける資格を持つのは、
神が定めたダルマを守る人々のみです。

ものを深く考えない人々は、
自分は神に対するバクティ(信愛)を持っていると信じています。

しかし彼らは、神が彼らを愛しているかどうかを、考える事はしません。
この点を知りたいと切望する人は、非常にまれです。

それこそが霊的な成功を計る、本当の尺度なのです。




音源はこちらから


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Happy Diwali

20111026

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バガヴァットギーター 第12章 第13節~15節/帰依のヨーガ 4/Radio Sai Japan より

20111022


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第13、14節

いかなるものも憎まず、すべてに対して友好的で、慈悲に満ち、
私と私のものという感覚がなく、
苦楽を同じ心で受け止め、忍耐強く満ち足りていて、
いつも神に専心しており、
自己を律し、固い決意を持ち、心と知性を私に定めている。

このように私を親愛するものは、私にとって愛おしい。



ババ様の御言葉です。

万物のうちに神を見なさい。
そうすれば、真のスネーハ(神との友情)が花開きます。

この種の真の友情は、いかなるものも憎まず、
すべてに対して友好的で、慈悲に満ち、
『私』と『私のもの』という感覚がなく、苦楽を同じ心で受け止め、
「忍耐強く」という、クリシュナの助言を守る事によって、初めて得られます。

これらの性質を育みなさい。

なぜなら、これらは真の友情の印であり、
信愛の九つの段階を経て、神に至る旅路を進んでいる人のみが、
この真の友情という聖なる理想に到達出来るからです。

それはつまり、『私のもの』とか、
『私』という感覚を取り除かなければならないということです。

両者ははっきり区別出来るものではありません。
前者は後者から生まれますが、
いずれも、根本的な真理に関する無知から生まれます。

というのも、一旦無知が取り除かれれば
『私』とか、『私のもの』という感覚が、面倒を引き起こす事はないからです。

無知が取り除かれた人には、
こうした感覚が入り込む余地はありません。

ですからバクティ、神への愛を求める求道者は、
常に満たされた気持ちでいなければならない、と定められています。


これは何を意味しているのでしょう。

それは、健康でも病気でも、
損得や喜び、悲しみの如何に関わらず、
いかなる状況に置いても、満ち足りているということです。

願いが叶えられても、そうでなくとも、
心は平常心と、落ち着きを失ってはならないのです。

ギーターは何者をも憎んではならない、と教えています。
しかし、それだけでは不十分です。

壁は誰をも憎みません。

しかし、それが理想なのでしょうか?

そうではありません。

あなたは自分から、万物を愛さなければなりません。
積極的に愛し、積極的に、愛の行為に携わなければなりません。

そうして初めて、あなたが切望する、神の恩寵を勝ち得る事が出来るのです。



第15節

世の中を苦しめる事も、世の中によって苦しめられる事もなく
興奮や怒り、恐れや不安から解放されている人もまた、
私にとって愛おしい。


ババ様の御言葉です。

心は、自分が進もうとする道に、わずかな障害が生じても、
バランスを失ってしまいます。
心は実に気まぐれです。

コーヒーが直ぐに出てこなかったり、
一週間に映画を2本見ることが出来なかったり、
朝と晩に長時間、ラジオの前に座る事が出来なかったり、

そうした取るに足りない、多くの事が出来なかったり、
邪魔されたりすると、あなたは不満に顔を曇らせます。

サムトゥシュティ(聖なる満足)とは、
いかなる願望が満たされても満たされなくても
いかなる出来事が起きても、起きなくても、

左右されることのない、心の状態のこととです。

興奮や落胆に心を乱してはなりません。





音源はこちらです



プロフィール

tottemo ii indo

Author:tottemo ii indo
サティヤサイババは亡くなってしまったけれど、その教えは私たち皆に受け継がれています。スワミの教えを実践することで、サティヤサイババが降誕した、本来の目的に立ち返りましょう。

H2Hの御言葉を、2010年分から順次載せて行こうかと思っています。
サイの御教えだけでなく、これからは、心に残る聖者の言葉も引用していこうと思います。

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