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バガヴァッドギーター 第2章 第69節/サーンキャヨーガ 16

20100427



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第69節

万物が夜を経験しているとき、不動の英知を持った人は目覚めている。
万物が目覚めているとき、真我を感知する不動の英知を持った人は眠っている。


ババ様の御言葉です。

インドリヤ、感覚は完全に無力化されなくてはいけない。
それがツチタプラグニャーの特徴です。
ですから、万物が夜を経験しているとき、
ツチタプラグニャーは目を覚ましているのです。
そして、万物が目覚めている時は、ツチタプラグニャーは眠っています。

これを文字通りに解釈すれば、
一方にとっての夜は、もう一方にとっては昼であるという事で、
ツチタプラグニャーとは、
昼の間に眠って、夜には起きている人のことになります。

この言葉の内的な意味は非常に深淵です。

普通の人は、この世から生まれる感覚に関する事柄に、
注意を払っています。
彼らにとっての覚醒とは、世辞の追求に関して、様々に配慮する事です。

ところが、ツチタプラグニャーは、
こうした世間の事象そのものに関心がありません。
彼はいわば眠った状態にあるのです。

眠りとはどういう意味でしょう。
それは、感覚が活動していないために生じる、幸福の事です。
それでは、油断なく目覚めている事とは、何を意味しているでしょう。
それは、感覚に屈して、その要求に応じる事です。

普通の人が、感覚とその要求を追求しているとき、
ツチタプラグニャーは眠っています。
これはまた、別な言葉で次のように表現する事が出来ます。

つまり真我意識を忘れると、肉体意識に逆戻りするのです。

これが普通の人に起きている事です。
彼は、真我の段階で眠り、肉体意識の段階で目覚めているのです。

ツチタプラグニャーの場合はそうではありません。
彼は肉体意識において眠り、真我意識において目覚めているのです。

彼は間違っても、感覚の世界で目を覚ます事はありません。
感覚の世界は、普通の人が最も注意深く気を配っている世界です。
以上が、この詩節の内的な意味です。

文字通りの解釈を正しいとすれば、
泥棒や夜警をはじめ、夜の間目を醒ましていて、
日中は眠っている人々が、ツチタプラグニャーと言う称号を
与えられる資格をもつことになりますが、
本来の内的な意味は、こうした時宜上の解釈とはかけ離れています。

欲望の痕跡すらも手放して、神の道具に徹する人だけが、平安を得る事が出来るのです。



音源はこちらです

(4:27まで)



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全託

20100420

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バガヴァッドギーター第2章 第66~68節/サーンキャヨーガ 15

20100409



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第66節

コントロールの出来ない者にとっては、知性はなく、また、瞑想もない。
瞑想しない者には平安はない。
平安のない者に、どうして幸せが訪れるだろうか。


第67節

動き回る感覚を追いかける心は、あたかも風が水上の船を運び去るように、
識別力を運び去ってしまう。


ババ様の御言葉です。

ですから人は感覚を統御すると同時に、心も統御しなくてはなりません。
これが、ツチタプラググニャーである印です。

もしこの二つの統御が出来ないとすれば、
そのひとは、ツチタプラグニャーではなく、
ガタプラグニャー、つまり智慧のない人であって、
不動の英知を備えた人ではありません。

その人はどこに行くのでしょうか。
その行き先は地獄であって、それ以外の場所に行く事は出来ません。


第68節

従って、おお、武装した優者よ。
あらゆる対象に向かおうとする処感覚を、完全に制御した人の英知は、
揺るぎないものとなる。



ババ様の御言葉です。

ツチタプラグニャーは、絶えずマナナム、
すなわち乾燥と木工に携わっています。
彼は無二、賢人と呼ばれ、
その知性は感覚の刺激に悩まされる事がないので、安定しています。


ここで理解しておかなければならないのは、
次の一点です。

つまり、感覚の克服は、霊性修行にとって、
欠かせないものであるということです。
しかし、それがすべてではありません。
感覚の対象の世界がいつまでも心を引きつけている限り、
人は、完全な成功を得たと宣言する事は出来ません。

クリシュナが、
「アルジュナよ、感覚の主となるのだ。そうすれば、何も恐れる必要はない
 なぜなら、そのとき感覚は、あたかも牙を抜かれた蛇のようになるからだ」
と言ったのはそのためです。


しかしそれでもまだ、貴方を下界に引きつける思いや衝動からの危険が残っています。

欲望には際限がありません。
欲望は満足する事を知らないのです。



音源はこちらからです。
(6:35)からです。





バガヴァッドギーター第2章 第64~65節/サーンキャヨーガ 14

20100409


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第64節

しかし、自己を律した者は、感覚を制御して対象の中を動き、
執着と嫌悪を離れて安らぎを得る。


第65節

その安らぎの中で、一切の苦悩は消滅する。
というのも、安らぎを得た者の理知は、直ちに不動のものとなるからである。



ババ様の御言葉です。

ひとりひとりにとって、感覚のコントロールは、必要欠くべからずものです。

この紙をご覧なさい。
今、これは普通の紙の姿をしています。
これを筒のように巻いて、しばらくそのままにしておくと、元の姿には戻らなくなります。
これを最初の自然な状態に戻したければ、逆向きに巻かなければなりません。

同様に、私たちは子供の頃から、意識的、無意識的に、
感覚的欲望や、世俗的な欲望の引力によって、心をある方向に巻き続けてきました。

もし、私たちが心を逆方向、すなわち真我の方向に巻けば、
それは本来の姿を取り戻します。

ですから、内面に目を向ければ、
私たちは、感覚をコントロールする事が出来るようになります。

というのも、これまでずっと、心の焦点は外側の事象に当てられていたからです。

過ぎた事は過ぎたこととして、
私たちは、内に向かう目を育てることによって、
心の神聖な性質を取り戻すために、必要な努力を傾けなければなりません。

私たちは、どのような仕事に携わる時も、
どのような思いを抱く時にも、
どのような光景を見る時も、


それを神の方に向ける努力を、


本日、この日からはじめなければなりません。




音源はこちらです
(3:54)からです。



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バガヴァッドギーター第2章 第62~63節/サーンキャヨーガ 13

20100408


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第62節

対象について考える人は、外界に執着し始める。
執着から欲望が生まれ、欲望から怒りが生じる。


第63節

怒りは迷妄をもたらし、
迷妄は記憶の混乱を引き起こす。
記憶の混乱によって識別力が失われ、
識別力を失えば、人は滅びに至る。



ババ様の御言葉です。

ですから、最初に克服すべきものはカーマ、すなわち欲望という魔物です。
そのためには、大きな戦いを繰り広げる必要はありません。

また、欲望が喜ぶような言葉を使って、
消えてもらうように説得する必要もありません。

欲望は何かを恐れたり、何かのためを思ったりする事によって消えたりするものではありません。
欲望は対象に関するものです。
欲望は、見えるものの範疇に属するのです。

不動の英知を備えた人、ツチタプラグニャーは、
私は見る者であって見える者ではない、という確信によって、
自らを執着から解き放ちます。

彼はこうして欲望を克服するのです。

あなたは、心の動きを外側から観察しなければなりません。
それに巻き込まれてはならないのです。
それが、この手法の意味するところです。

心の働きは、強い電流のようなものです。
それは、離れたところから観察すべきものであって、
接触すべきものではありません。
それに触れようものならば、あなたは灰になってしまいます。

それと同じで、触れたり執着したりすれば、
心に貴方を滅ぼすチャンスを与えてしまいます。

それから遠く離れれば離れる程よいのです。
貴方は上手なやり方で、自らの幸せのために、
心を有効に活用しなければなりません。

ツチタプラグニャーが浸っている至福は、
外界の事物から生じるのではありません。

彼はまた、外界の事物を一切必要としないのです。
至福、アーナンダは、各人の本質の一部として、すべての人に備わっています。
純粋な意識を持った人々は、自分自身の本当の姿である真我、
アートマを知る事によって、最高の至福を見いだします。

その喜びは、スワサンパーディアム、自ずと与えられた喜びと呼ばれます。
これは、その喜びを味わっている者のみが知るものであり、自明のものです。


今回の録音は長いので(3:53)で切ります。
次回は、第64節からです。



音源はこちらから






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プロフィール

tottemo ii indo

Author:tottemo ii indo
サティヤサイババは亡くなってしまったけれど、その教えは私たち皆に受け継がれています。スワミの教えを実践することで、サティヤサイババが降誕した、本来の目的に立ち返りましょう。

H2Hの御言葉を、2010年分から順次載せて行こうかと思っています。
サイの御教えだけでなく、これからは、心に残る聖者の言葉も引用していこうと思います。

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