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バガヴァッド ギーター第2章 第13~14節/サーンキャヨーガ 5

20091123



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第13節

肉体に宿るもの、アートマは、その肉体の中で、
少年期、青年期、老年期を経験するのと同様に、死後はまた、別の肉体に宿る。

賢者は、このことに惑わされたりはない。


<ババ様の御言葉です>

アートマ、真我は肉体と関わりを持っていながら、
グナ(属性やダルマ)に影響される事はない。

つまりアートマには、何の特質も特徴もないという事だ。

君自身は、幼児から少年になり、少年から青年になり、青年から中年に、
さらには老年へと移行するとき、
肉体が経験する変化には影響される事はない。

君は、こうした全ての変化にも関わらず、存在し続ける。

肉体が滅びた時も同じことで、アートマは生き続ける。
だから英雄は、死という名の変化を悲しむような事はしないのだ。


クリシュナが強い口調でこう言った衝撃で、
戦車が揺れたほどでした。


アルジュナは、それでも疑いが晴れず、質問を始めました。

「おお、主よ。
 貴方は肉体にまつわる変化は、
 覚醒、夢、眠りという状態の変化のようなものだとおっしゃいます。
 でも、私たちは、深い眠りから目覚めた時、
 自分の体験を忘れるような事はありません。
 ところが、死と呼ばれる出来事によって、
 過去世の経験は、記憶から消されてしまいます」


クリシュナは、経験した事のすべてを記憶に呼び戻す事は出来ないが、
その内のいくつかは、思い出す事が出来ると答えました。

というのも、乗り物が変化しても、アートマは存在し続けるからです。


するとアルジュナは、別の問題点へと移りました。

それは、彼だけではなく、多のく人を悩ませているテーマでした。
賢者は、このことに惑わされたりはしない、とクリシュナが言ったのはそのためです。


クリシュナは、アルジュナは、これに惑わされるべきではない、とは言いませんでした。
彼は心が揺れる者たち全てに教えようとしたのです。

クリシュナは、一つ一つ疑いが生じるたびに、直ちにそれを解決します。


彼は言いました。
「アルジュナ、覚醒、夢、熟睡の3つの状態を通り過ぎる間、
 ブッディ、知性はなんとか、いくつかの点を保持出来る。
 しかし、それもまた、肉体に死が訪れると破壊されるのだ。
 一撃で、全てが忘れ去られてしまう。

記憶は、アートマではなく、知性の機能なのだ。



第14節

クンティの子、アルジュナよ。
苦楽をもたらす、感覚の対象との接触は、
寒暑の様に来ては去って行く、一時的なものだ。
だから忍苦、ティティクシャの鎧を身に着けるのだ。
おお、バーラタよ。



<ババ様の御言葉です>

クリシュナは言いました。
悲しみとその双子の兄弟である喜びが生じる原因は、
対象へ向かう感覚の動きである。

それは、暑さと寒さのようなものだ。
君は寒い季節には暖を求め、暑い季節には涼を求める。

感覚と対象との接触は、まさにこれと同じだ。

世界がある限り、対象との接触は避けようがなく、
前世の重荷がある限り、悲喜両面の体験を逃れる事は出来ない。

とはいえ、人はそれを回避したり、
難なく耐え忍んだりするための技術、修練、秘訣を取得する事は出来るのだ。

沐浴の為に海に入るのに、波が静まるまで待つことが、一体何の役に立つだろう。

波は決して静まらない。

賢者は、打ち寄せる波の衝動を避けるこつと、
引いて行く波に引きずられない方法を学ぶ。
しかし、海での沐浴は必要だ。

中には余りにも怠惰で、その技術を習得できないために、
沐浴そのものを避ける人々もいる。

アルジュナ、不屈の精神、ティティクシャの鎧をまとうが良い。
そうすれば、運、不運の衝動によって、
害がくわえられる事はなくなるだろう。


不屈の精神、ティティクシャとは、
対立する二つのものに直面した中での、平常心の事であり、
勇敢に二元性に耐え抜くことを意味している。

それは、強者の特権であり、優者の宝である。

弱者はクジャクの羽のように動揺するだろう。

クジャクの羽は、一瞬も静止する事なく、いつも落ち着かない。
弱者は、あちらこちらと振り子のように揺れて、あるとき喜びに向かったかと思えば、
次の瞬間には、悲しみへと向かって、動くのだ。


ここでは一つの点に付いてしばらく、考えてみなくてはならない。
ティティクシャ、不屈の精神、平常心は、サハナ(忍耐)とは違う。

サハナ、忍耐とは、他に方法がないために何かを我慢し、耐え忍ぶ事だが、
克服出来る能力を持っているにもかかわらず、
それを無視する事、それが霊性修行である。

内なる平静さと、平安を保った状態のまま
二元性に満ちた、外的世界を辛抱強く耐え抜く事こそが、解脱への道なのだ。

分析的な識別心を持って、全てに耐える事は、良い結果をもたらす類いの、
サハナ、忍耐である。


音源です。




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バガヴァッドギーター第2章 第9~12節/サーンキャヨーガ 4

20091119



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第9節

サンジャヤは語った。
全ての感覚を司る主、フリシーケシャであるクリシュナに、
このように話しをした後、
感覚のコントロールを勝ち取った者、
グダーケーシャであり、
敵の征服者、パランタパであるアルジュナは、
「私は戦いません」とゴーヴィンダ、クリシュナに言ったまま、
黙ってしまいました。


<ババ様の御言葉です>

アルジュナが自分の努力によって、感覚のコントロールを勝ち取って、
グダーケーシャの名を獲得したとすれば、
クリシュナは、全ての感覚を司る神である、フリシーケーシャです。

この二人は、クルクシェートラの戦場で、
一方は弟子として、一方は師として、同じ戦車に乗っていました。


第10節

おお、バーラタ王よ。
両軍のただ中で沈む君
アルジュナに向かって、フリシーケーシャ、感覚の主クリシュナは、
笑いながら次の言葉を語りました。


<ババ様は次のようにおっしゃっています>
これこそが、賢者、グニャーニと、
愚者、アグニャーニを区別する目印です。
クリシュナは喜びに溢れて笑いながら語りました。
アルジュナは、悲しみに打ちひしがれて聞いていました。

賢者は常に喜びに満ちており、笑います。
愚者は、悲しみに胸を痛めて、涙を流します。


第11節

シュリバガヴァン、聖なる主、クリシュナは告げた。

君は悲しむべきでないことについて悲しんでいるのに、
智恵のある者のような言葉で語っている。
賢者は生きている者についも、死者についても悲しまないものだ。


<ババ様の御言葉です>

ギータを説き始める時、シュリクリシュナは、
カルマヨーガ(行為の道)や、
ダルマヨーガ(義務の道)、
もしくはニシカーマカルマ(無私の行為)
といった教えから始めることも出来ました。
あるいは最初に、バクティヨーガ(帰依の道)を説くことも出来たでしょう。
しかし彼はそうしませんでした。
実際クリシュナは、第2章以降に神の教えを説き始めたのです。

第1章全体は、アルジュナの失意について述べられているのみです。
クリシュナは、一言も言葉を発しませんでした。

彼は、第2章の11番目の詩節から、アルジュナに教えを説き始めました。

それまで彼は、アルジュナの失意を忍耐強く見守っていました。
そしてクリシュナは尋ねました。

アルジュナよ、お前は言いたことを全て言ってしまったのか。
無知によって生じた苦悩を全て吐き出して、アルジュナの頭は空っぽになりました。
その時クリシュナは言いました。

お前は、識別力の喪失という病気に苦しんでいる。
私がお前に、この病気を治す薬を与えよう。
病気を診察して、迷妄と悲しみがその原因であると診断を下した、
シュリクリシュナは、
サーンキャ ヨーガ(知識の道)という薬を使って、治療を始めました。

こうしてクリシュナは、最初から最も効果的な薬である英知を、
アルジュナに与え始めました。
このことは、第2章第11節の詩節から、詳しく述べられています。

ギータを学ぶ全ての人々にとって、これは非常に重要な詩節です。

クリシュナは、肉体の崩壊は、アートマの崩壊ではなく、
アルジュナが悲しむ必要の無いことを悲しんでいると言って、
長い間アルジュナを悩ませていた、二つの異論をあからさまに非難しました。

お前は、あたかも賢い人のように語り、
これが正義で、もう一方は正義でないと言う。
まるでお前には、その二つをどのように区別すべきかが分かっているかのようだ。

とクリシュナは言いました。


第12節

私はかつて存在しなかったことは決してないし、
君も、これらすべての王侯たちもそうだ。
また私たちは皆、この先も、決して存在しなくなることはない。


<ババ様は次のように、クリシュナの言葉を述べています>

ビーシュマやドローナを始め、皆は、真の戦士やクシャトリヤ、
武人として戦うためにやってきた。
彼らは君のように泣いたりはしない。
そのことを考えてみるがいい。
彼らは決して嘆いたり、撤退したりはしない。
アルジュナ、これは君にとって試練の時であることを、肝に銘じておくのだ。

また、もう一つ言っておこう。
かつて私が存在しなかった時など、決して無かったのだ。

それはなぜだろうか。
君も、これらすべての王や王子たちもまた、
同様に、かつて存在しなかった時など無かったのだ。
タット、それはパラマートマ、神であり、
ポワット、貴方は、ジーヴァートマ、個我である。
そしてその両者は、過去、現在、未来を通じて、いつまでも同じであり続ける。

粘度で壷が作られる前にも、
壷の形を取っているときにも、
また、壷の形がなくなった後も、粘度は粘度であり続けるのだ。



ぜひ、音源と共にお聞きください。






バガヴァッド ギーター第2章 第8節/サーンキャヨーガ 3

20091115


音源(4:53から)


第8節

というのも、地上で比類なく繁栄する王国を手に入れても、
また、神々に対する支配権さえ得たとしても、
感覚をからしてしまう、この悲しみを取り除けるものを、
私は知らないからです。


スワミは次のようにおっしゃっています。

正確に言えば、あらゆる悲しみの原因とはなんでしょう。

それは肉体への執着であり、
肉体への執着が、悲しみとその直接の前兆である、愛情と憎悪を生み出すのです。

愛情と憎悪は、知性が、ある種の物事の状態を有益であると考え、
別のもの事や状態を、有益ではないと考える結果として生じます。

このような有益と無益という概念は迷妄です。

それにも関わらず、貴方は有益だと思われる事物に執着し、
それ以外のものを嫌悪し始めます。

しかし、最も高い見地からすれば、有益も無益も共に存在せず、
その区別はまったく無意味なのです。

二元対立はどこにも存在しません。
そうであれば一体どうして、善と悪とが存在出来るのでしょうか。

ただ一つのものしか存在しないところに、二つのものを見る事、
それこそが、マーヤーであり、無知なのです。

アルジュナを悲しみへと陥れた無知は、このような特質を持っていました。
すなわち、かれは、唯一無二なるものしか存在しないところに、


他を見たのです。







バガヴァッド ギーター第2章 第5~7節/サーンキャヨーガ 2/印象に残った節

20091112



ギータ2





第5節

美徳に満ちたグルたちを殺すくらいなら、この世で骨食をして生きる方がマシです。
勝利を望んで、あの方々を殺せば、まさにこの世で、
地に汚された食物を、私は食べなければならないでしょう。



<スワミは次のようにおっしゃっています>

アルジュナはまた、身近にいて愛着を感じる人々を皆殺しにして、
勝利を得るくらいなら、
食べ物を乞いながら生きる方がマシだと、クリシュナに言いました。

クリシュナはアルジュナに向かって、予言者のような口調で言いました。

運命によって定められていることは回避出来ない。
正義が行われるであろう
勝利は正しい人々のもとに行く。
真理が生き残るであろう




第6、7節

私たちが勝つべきか、
あるいは彼らが私たちに勝つべきなのか、
私たちにとって、どちらが良いのか、私には分かりません。

もし目の前に対峙する、トリタラーシュトラの息子たちを殺したとすれば、
私たちはもはや、生きていたいとは思わないでしょう。



無知という病によって、私の持って生まれた気質、
勇敢さ、冷静さ等は失われ、
心はダルマについて深く迷っています。

私はあなたにお尋ねします。
なにが霊的功徳、シュレヤスであるのか、はっきりと私にお告げください。

私は貴方の弟子です。
貴方に寄る辺を求める私を、どうかお導きください。




<スワミの御言葉です>

というのも、アルジュナがクリシュナに求めたものは、
プレヤス、権力や地位、富による、心地よい世俗的な栄光ではなく、
シュレヤス、全き喜びの永遠の栄光だったからです。

アルジュナは言いました。

プレヤスは人間の努力によって手に入れることが出来ます。
それは人間の行為、すなわちカルマによって手に入れることが出来ます。
自分の努力によって手に入れることが出来るものを、
どうして貴方に求める必要があるのでしょうか。

私はそれほど愚かではありません。

どうぞ私に、自分の努力では手の届かない、シュレヤスをお与えください。
シュレヤスはカルマの果実ではありません。
それは、神の恩寵の果実です。


こうしてアルジュナは、完全なる全託の高みである、
シュラナガティ、すなわち、
プラパッティと呼ばれる状態へ上り詰めました。

また、スワミは次のようにおっしゃています。


肉体意識がある限り、帰依者は奴隷であり、神が主人となります。
自分は他の人と切り離されると感じる限り、帰依者は部分であり、
神は全体です。

帰依者が「私」と「私の物」という思いを超えると同時に、
肉体の限界を超えた状態へと進歩を遂げた時、
もはやそこには、何の区別も存在しません。

帰依者と神は同じものです。


ラーマーヤナの中でハヌマーンは、帰依によって、
この三番目の段階に到達しました。


帰依者と神の融合に関しては、
バガヴァットギーターの、第2章第7節の詩節に述べられています。


そこに使われている、プラパット、神に全託するもの、という言葉は、

アルジュナには、

神に融合する資格が備わっていること、
すなわち、彼が帰依に関する規律を守っていることを示しています。


ぜひ、音源と一緒にお聞きください。





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バガヴァッド ギーター第2章 第1~4節/サーンキャヨーガ 1

20091111



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ギーター第2章第1節


サンジャヤは語った。

このように、哀れみと悲しみに胸を塞がれ、
目にいっぱの涙を浮かべて、困り果てているアルジュナに、
マドゥスーダナ、悪鬼をマドゥを滅ぼしたクリシュナは、
次のように言いました。


第2節

シュリ バガヴァン、祝福に満ちた主なるクリシュナは告げた。

このような危機に及んで、その臆病さはどこから来たのか。

おお、アルジュナよ、
それは正義の道を歩む者にはふさわしくなく、
人を天国へは導かず、不名誉をもたらすものである。


<スワミの御言葉です>

バガヴァットギーターの中でアルジュナは、
霊的なジレンマに陥ります。

彼は自分の果たすべきダルマ、スワーダルマに付いて思い悩み、
苦境に立たされます。

彼は自らの親族を殺して、親族殺しの罪を背負う事を躊躇し、
人を殺す事によってもたらされる、戦場の栄光を忌まわしく思います。


第3節

プリターの子、アルジュナよ、臆病さに屈するな。
それは君に全くふさわしくない。
敵を打ち倒す者よ、弱気を振り払って立ち上がれ。



第4節
アルジュナは言った。
おお、マドゥスーダナよ。
戦において、尊敬に値する、ビーシュマやドローナに、
どうして私が矢を持って抵抗することができましょうか。
おお、敵を滅ぼすお方よ。


<スワミは次のようにおっしゃっています>

アルジュナの迷妄は、私、私のものという感情でした。
突然彼は、自分が人殺しになると感じはじめました。
自分の先生であり、年長者であり、親族である彼らを殺した責任は、
自分が負わなければならない
、と感じ出したのです。

こうした利己的な感覚は取り除かなければなりません。
私、という意識を滅却して、
全ての言葉と思いと行為を神に捧げるのです。



音源と一緒に聞くことをお勧めします。
(3:08あたりからです)







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プロフィール

tottemo ii indo

Author:tottemo ii indo
サティヤサイババは亡くなってしまったけれど、その教えは私たち皆に受け継がれています。スワミの教えを実践することで、サティヤサイババが降誕した、本来の目的に立ち返りましょう。

H2Hの御言葉を、2010年分から順次載せて行こうかと思っています。
サイの御教えだけでなく、これからは、心に残る聖者の言葉も引用していこうと思います。

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