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バガヴァッドギーター 第2章 サーンキャ ヨーガ 目次/サティヤ サイババによる/Radio Sai Japanより

20120201


Prologue 

第1節~第4節

第5節~第7節

第8節

第9節~第12節

第13節~第14節

第15節~第19節

第20節~第28節

第29節~第38節

第39節~第41節

第42章~第45章

第46節~第51節

第52節~第55節

第56節~第61節

第62節~第63節

第64節~第65節

第66節~第68節

第69節

第70節~72節



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バガヴァットギーター 第12章 帰依の道 目次/サティヤ サイババによる/(Radio Sai Japanより)

20120201


バガヴァッドギーター 第12章 帰依のヨガ 



第1節~2節


第3節~9節


第10章~12節


第13節~15節


第16節~20節








バガヴァットギーター 第12章 帰依のヨガ  第1節~2節/(Radio Sai Japanより)

20120201


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バガヴァットギーター 第12章 帰依のヨーガ 

ババ様の御言葉です。


行動の道や英知の道、ヨーガの道を守る人々よりも、
神への愛、バクティの道を守る人は、幸運で優れていると宣言されています。

彼はヨーガの行者や出家者や、英知の人や行動の道を辿る修行者よりも
優れているのです。



第1節

アルジュナがクリシュナ神に尋ねました。
絶えずあなたをそのように崇めている帰依者たちと、
あなたを不滅の存在、感覚で捉える事の出来ない存在として崇めている人々とでは、
どちらがよりよく、ヨーガを納めているのでしょうか?


ババ様の御言葉です。
アルジュナは微笑みを浮かべて、かすかに唇をふるわせながら尋ねました。

主よ、あなたが揺るぎない、ひたむきな信愛をお喜びになることは分かりました。
でもあなたは、姿をもった神を崇める者を喜ばれるのでしょうか?
それとも、姿の無い神を崇める者をお喜びになるのでしょうか?

あなたは、姿のある神への礼拝、サーカーラー ウパーサナと、
姿の無い神への礼拝、ヴィラーカーラ ウパーサナの
どちらがお好きなのでしょうか?

どちらの方がよりあなたの心を溶かし、
よりあなたの祝福を手に入れる事に、貢献するのでしょうか?

どちらの方が修行者にとって容易く、よりあなたに歓迎されるのでしょうか?
どうかお教えください。


第2節

クリシュナ神は答えました。
私に心を定めて、私を崇める人は誰であれ、
また、不動の信念をもってこれを行い、そこに喜びを見いだす者は誰でも、
より大きな成功を納めていると私は考える。


ババ様の御言葉です。

クリシュナ神は、
このように尋ねられた事を喜んで、次のように言いました。

アルジュナよ、私は両者の間に何の区別もしない、
その人の心が私で満たされていて、
一つひとつの行為と言葉と思いの中に、
揺るぎない信仰がある限り、どのような形で崇められても、
私は喜ぶのである。


アルジュナは、クリシュナの話が終わらないうちに

クリシュナ、心の純粋さと、揺るぎない信仰だけで十分なのですか?
性別や身分や人生における時期などは、道を修める上で、障害になるのではありませんか?
と尋ねました。


クリシュナは、アルジュナをたしなめて答えました。
いろいろな事を体験した後で、君がそのような質問をするとは驚きだ。
純粋で、永遠の真理の化身である私の中の安らぎ、
心に神を定めた人々は、自己と肉体とをみじんも同一視することはない。

もし彼らが今だに、性別や身分や人生の段階を意識して、
それに伴うプライドや、理屈さなどがあるのなら、
まだ、神に全託していないことは明らかだ。

肉体に対する執着を取除いた人々は、身分や段階等に惑わされる事は無い。

しかし、アーシュラマ ダルマや、ワルナダルマ
身分に応じて、また、学生期、家長期、隠遁期、遊行期の
4つの段階に応じて定められた規律は、
心を神に定めたり、心の悪を浄化したり、
すべての行為と言葉と思いを通じて、神を礼拝したりする修行を、
いささかも妨げるものでは無い。

性別や身分や地位や、人生の段階に応じた区別は、
肉体意識を真実と見なして生活し、
この世が絶対で永遠であるかのように行動をする人々にのみ、
影響を及ぼすものなのだ。



音源です。




バガヴァットギーター 第12章 第3節~9節/帰依のヨーガ 2/Radio Sai Japanより

20120129



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第3、第4節

しかし、諸処の感覚を制御して、いかなる状況に置いても同じ心を保ち、
万物の幸福を喜び、不滅の存在、説明出来ない存在、
非顕現の者、偏在の者、不可思議の者、
変わる事のない者、不動の者、堅固な者を崇める者たちもまた、
真(まこと)に私に到達する。


第5節

とはいえ、より困難が大きいのは、
非顕現の存在に心を定めている者たちである。
というのも、肉体を持った者にとって、
非顕現の目標に到達するのは、たいへんに難しいからである。


ババ様の御言葉です。

これに対して、アルジュナは言いました。
クリシュナ、自己と肉体を同一視する人々にとって、
姿を持たず、特性を持たない者を黙想する事は、とても難しい事です。

神の姿をもった側面を礼拝する事は、普通の人の手の届く範囲にありますが、
これは、心の浄化をもたらすでしょうか?
内的意識器官の浄化をもたらすでしょうか?

どうか、啓発してください。


アルジュナよ
人々は、姿と特性をもった神を礼拝するだけで、十分だと考えている。
この修行は、ある程度の助けになるだけである。
それは神に至る道に沿って、人をしばらくの間、進ませるだけでしかない。

なぜなら、神はそれだけでその人を哀れんで、
解脱を授けるような事はしないからだ。

というのも、解脱を目指す者はまず、
肉体への執着を、手放さなければならないからである。

肉体への執着を手放すことなしには、
真我、アートマのステージに到達する事は出来ない。
肉体との自己同一化は、無知の現れである。
神我は、自然界とは異なったものとして認識されなければならない。


第6,7節

しかし、私を究極のゴールとし、すべての行為を私に捧げ、
一心不乱に私を瞑想して、私を崇めるる人々、それら私に心を注ぐ人々にとって、
おお、パールタ、アルジュナよ、
私は直ぐに彼らを輪廻の海から救い出す者となるだろう。


ババ様の御言葉です。

すべての礼拝と、すべての崇敬と、すべてのヴェーダの儀式と、
それ以外の誓いや、夜を徹した祈りを、
それに付随する一切の成果と共に、私に捧げなさい。

私を究極のゴールとし、最終的な目標としなさい。
それによってすべての行為は、礼拝になる。

君の心を私に定めて私を、瞑想しなさい。
そうすれば私は、恩寵を注ぎ、
変化に満ちたこの世の大海を、渡らせてあげよう。
君に力を貸して、君の求めるゴールに到達させてあげよう。

アルジュナよ
私に心を定める事は、容易な事ではなく、
誰でもこれをやり遂げる事が出来る、というものでもない。
どれだけ長い間訓練しても、他の物事や他の考えに心を彷徨わせる事無く、
私から心を放さないでいる事は、難しい。


第8節

君の心を私だけに定めて、君の知性を私の中に没入させなさい。
そうすれば君は、この先ずっと、私の内のみに住む事になるだろう。
この事に疑いの余地はない。


第9節

もし君が、意識をしっかりと私に集中させることが出来ないのであれば、
アビヤーサ・ヨーガ、絶えず実践することによる訓練によって、
私に到達する様に勤めなさい。

おお、富の獲得者、アルジュナよ


ババ様の御言葉です.。
君はそこで
「それ以外に何か手だてはないのですか?」と尋ねるかもしれない。

私はそれに対して
「ある」と答え、私を喜ばせる行為に、熱心に携さわろうとする人々までも、
真我の意識を確立して、解脱を得ることが出来る。

祈り、神の名を唱えること、栄光を讃える事、礼拝などの手段によって、
過去の罪を破壊し、内的意識の衝動を浄化する事が出来る。

そのとき英知の光が差し込んで、無知の闇から解放されるのだ。




さあ今こそ、サイ ガヤトリーを唱えよう!





音源はこちらです。


バガヴァットギーター第12章 第16節~20節/帰依のヨーガ 5/Radio Sai Japan より

20111028



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第16節
欲望を持たず、純粋かつ有能で、偏見も動揺もなく、
すべての企図を捨て、私を信愛するものは、私にとって愛おしい。


第17節
悦に入らず、嫌悪せず、悲しむ事も欲しがる事もせず、
好悪を放棄して、親愛に満ちているものは、私にとって愛おしい。



ババ様の御言葉です。

ギーターは、誰かが、神に対する深い信愛を持っていたとしても、
もしその人が、神の教えに注意を払わずに生きているのであれば、
バクタ(神を愛する人の名)に値しない、と宣言しています。

神の教えとは、聖人賢者達に啓示された、
神の教えであるシャーストらに定められた、ダルマの事です。

クリシュナがギーターの中で
親愛に満ちているものは、私にとって愛おしい、と宣言した時、
『親愛に満ちている』という言葉を使ったのは、
このような意味合いからでした。



第18,19節
敵と味方に対して同じ心であり、
また、名誉と不名誉にたいしても同じ心であり、
非難と賞賛を同一視し、寡黙で、何でも満足し、
家を持たず、安定した心を持ち、神への愛に満ちている人、
そのような人は、私にとって愛おしい。


第20節
しかし、以上述べた、この不滅に至るダルマの道を尊び、
唯一究極の目標として私を信頼し、一心に私と結びついているものたち、
彼らは私にとってこの上なく愛おしい。


ババ様の御言葉です。

この詩節、シュローカはなんと素晴らしい概念を伝えている事でしょう。
これは、人が身につけなければならない性質を述べた、
一連の詩節を締めくくるシュローカーです。

それは、一連の詩節全体を、ダルマーアムリタ、
不滅の命に至るダルマの道と叫びます。

神はこのシュローカーの中で、これらの特質を備えた人々、
唯一、究極の目標として、神を信頼する人々、
心に神を慕う人々は、神にとって最も愛おしくて、
神に最も近い人と宣言しています。

ここで使われている、
ダルマーアムリタ、不滅の命に至るダルマの道、
という言葉に注意しましょう。

それについて深く考えて、
そこからインスピレーションを受けましょう。

甘露(アムリタ)のような神の恩寵を受ける資格を持つのは、
神が定めたダルマを守る人々のみです。

ものを深く考えない人々は、
自分は神に対するバクティ(信愛)を持っていると信じています。

しかし彼らは、神が彼らを愛しているかどうかを、考える事はしません。
この点を知りたいと切望する人は、非常にまれです。

それこそが霊的な成功を計る、本当の尺度なのです。




音源はこちらから


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プロフィール

tottemo ii indo

Author:tottemo ii indo
サティヤサイババは亡くなってしまったけれど、その教えは私たち皆に受け継がれています。スワミの教えを実践することで、サティヤサイババが降誕した、本来の目的に立ち返りましょう。

H2Hの御言葉を、2010年分から順次載せて行こうかと思っています。
サイの御教えだけでなく、これからは、心に残る聖者の言葉も引用していこうと思います。

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